広島放浪記 2023春
仕事で2ヶ月ほど広島に滞在してました。
忙しない日々でしたが、合間を縫って色んな名所を
巡ることができたので記録に残します。
原爆ドーム。通勤経路のすぐ傍にあったので身近な存在になりました。
世にも珍しいもみじ饅頭の自販機。買わなかったのが悔やまれる。
広島は路面電車がある街。たまに乗ってましたが風情を感じられます。
縮景園。広島藩主浅野氏によって造園された所謂大名庭園。手が行き届いており歩いていて心地よかったです。
広島城跡。原爆で吹き飛ばされてしまったので今あるのは再建されたもの。
ひろしま美術館へ。ピカソ展が開催されていたのは意図せぬ収穫でした。
山形美術館収蔵の『剣を持つ男』に画風が似ていて好きな作品。
最大のお目当て、ゴッホ『ドービニーの庭』。眼前にしばらく佇みました。
平和記念公園。戦争の惨禍を大きく被った沖縄・広島・長崎には足を運びたいと考えていました。ここで三か所目になりますが終わりではなく、今日の日常が戦後の文脈において成り立っている事実を忘れたくないです。
続いて平和記念資料館へ。原子爆弾によって奪われた一人ひとりの生を想起させる非常に優れた展示になっています。
少し足を延ばし宮島へ!
観光地名物、人慣れしすぎた鹿。
厳島神社は朱色が映えていてとても綺麗!
山登りとしての血が騒ぎ、山そのものが厳島神社のご神体になっている弥山を登ることに。道中、連綿と続く信仰が表されるような寺院やお地蔵様で道草が捗りました。
奥の院。弥山随一の聖域です。
山頂からは瀬戸内の島々を眺望でき、壮観な光景が広がってました。
下山すると、午前中には海に浮かんでいた大鳥居に向かって歩く大勢の人が!
事前情報なしだったのでうまいこと干潮の時間に当たるとは幸運でした。
広島グルメも堪能!
ウニホーレン。アンパンマンで出てきそうなネーミング。
この日は遠出をして山口県岩国市へ。ちなみに山口には初の訪問。
いちばんの目的は錦帯橋。
ゼルダの伝説に出てきそうでお気に入りのモニュメント。逸話も素晴らしい!
世界的にも珍しく岩国には野生の白蛇が多く生息しているそう!多くの伝承で語り継がれてもいて、勉強になった。
桜の時期には大勢が花見を楽しんでおられました。花見文化にはあまり縁がなかったので新鮮な光景。
電車で呉へ。
呉と言えば海軍カレー!ってことで食してみたかったのですが、どこも一杯でガパオライスで手を打ちました。ナンプラーが利いていておいしかったです。
帰任前日は原爆ドーム隣のおりづるタワーに登りました。
最上階の広場には心地良い風が吹き込み、時間を気にせず広島での日々を回想していました。
あなご飯。
また来るぜ、サンキュー広島!
北の果てを駆ける ハードボイルド礼文島旅行記
北海道の北の果てには”花の浮島”がある。
そんな噂話を聞きつけ礼文島に行ってまいりました。
寄り道を挟みつつ陸路で稚内を目指します。
朱鞠内湖。トラウトがうようよいそうな雰囲気で良かったです。
『北海道』の名付け親、松浦武四郎が1857年、日記に記したようにかつては天塩川にチョウザメが生息していた。こんな背景もありチョウザメを町おこしの柱に据えています。
水槽にはうようよいすぎで、気味の悪さを感じたという松浦に同意しつつ社会見学に努めました。
その後はひたすら北上。
そろそろ見えてくるはずなんだけど、と考えながら運転しているとようやく姿をあらわした、利尻岳。
この興奮はさながらエレボールを遠目で発見するビルボ・バギンズ一行。
この日は稚内で一泊、海の幸をいただく。
翌朝、フェリーの時間まで市内観光。
白い道。
偶然、同郷の方と居合わせてしばらく話し込んでいました。
宗谷岬。
フェリーでいざ、礼文島!
2時間のクルージングで礼文の窓口、香深港へ。
島の南端に位置する映画『北のカナリアたち』のロケ地、北のカナリアパーク。
礼文を代表するトレッキングコース「桃岩展望台コース」を知床口から歩みはじめます。
礼文島二日目はレンタサイクルで縦横無尽に走りまわります。
しかし、待っていたのは風雨の洗礼。一時間で雨具など意味をなさないくらいずぶ濡れになりました。
島の最北端、スコトン岬。荒々しさが終末感あり。
北部の岬を巡ります。ところどころヒルクライムで体力消耗しました。
澄海岬。
標高490m、礼文岳もさくっと登っていきます。
新桃岩トンネルを抜けてゆきます。
シンボルの桃岩も一層桃らしく。
合掌しているように見えることから名づけられた地蔵岩。神々しささえ感じます。
居合わせた方からゴールデンキウイを恵んでもらえるありがたさ。
最終日、礼文島との別れは恒例、桃岩荘ユースホステルの面々によるお見送り。
「いーってらーっしゃーーーい!」との声に呼応するように「いってきまーーーす!」を大声で叫ぶ人、見えなくなるまで両手をふるう人、両目に涙を浮かべる人などを横目にジーンと旅程を振り返っていました。夏の終わりに人の熱さにあてられたようです。
おわり。
身をやつす九州旅行 ~史跡、祈り、グルメ~
2月18日から23日にかけて、福岡~熊本~長崎に行ってきました。
この3県は初の訪問。修学旅行の定番スポットを中心に巡りました。
以下、適当に旅行の記録を書き留めておきます。
▷1日目
雲の隙間から能登半島のくびれが見えたのが良かったです。
文明の利器ってすごいもので2時間のフライトで到着。
福岡空港への着陸、市街地に突っ込んでいくアトラクションでした。
まずは道真さんへ挨拶しに太宰府天満宮へ。
大宰府へ左遷された菅原道真を慕い、一夜のうちに京から空を駆けてきた「飛梅」。
花咲いてて驚く。たったいま北海道は氷に閉ざされている。
隣接する九州国立博物館へ。
他の三つの国立博物館とは異なり、モダンな箱。曲線とガラスと映りこむ青色で海が想起されます。
「神宿る島」宗像・沖の島で出土した宝物にテンションぶちあがりですよ!
『栄花物語』の英語タイトルが ”A Tale of Glory" なの、勇者の英雄譚と勘違いされそう。
九州らしく隠れキリシタン関連の展示も目を引く。
口髭を貯えるダンディなお釈迦様。
その後、門前町を軽く散策。
大宰府名物「梅が枝餅」、芳ばしく美味。
宿は熊本城近くのビジホ。屋上から一枚。
夜、はじめての街を散歩。出歩く人は少ない。
からし蓮根、食したの初めてかも。めちゃうま。
ラーメンもうめがったっす。
▷2日目
朝、散歩。市役所前で清正のアーティファクトに遭遇。
熊本城
秀吉の九州平定後、肥後の領主となった加藤清正が大規模修繕したものが今日の礎となっています。
2016年熊本地震の傷跡が今なお生々しく残ります。
敷地内は立ち入り禁止のエリアが多く、仮設の通路が設置されそこを進みます。
清正の城は石垣の反りが特徴。風格漂う。
天守閣は復旧工事が完了し、2021年4月から内部が再公開されています。関係者の尽力に頭が下がります。
最上階から市街を望む。
市街からふと見上げるとその姿が。熊本市民はいい風景をお持ちだ。
熊本港からフェリーで島原へ。ほんとは水前寺公園、阿蘇にも足を延ばしたかったけど時間の関係で泣く泣く断念。まあ生きてりゃまた来るでしょう。
優雅にクルージングですわ。
目的地の長崎に行くだけなら陸路で移動したほうが短時間で済むのですが、有明海と雲仙岳見てみたかったのでこのルートにしました。しかし、天気に恵まれず期待通りとはいかず。
車窓から島原城がみえた。いずれ来ます。
諫早で乗り換え長崎方面へ。替わってJR九州・特急かもめは呪術廻戦仕様。
長崎駅は大改造中。何ができるか楽しみ。
ホテルにチェックインした後、夕食へ。
地元の人におすすめされたとんかつ。大変おいしゅうございました。
▷3日目
福砂屋のカステラと牛乳で優雅な朝食。
腹ごしらえしてまちへ繰り出す!
同じ坂のまちでも尾道と比較すると数倍の規模感。
途中、結構な勢いで雪が降ってきた。
坂のまちには欠かせないねこちゃん。風が冷たく、なかなか不憫。
造船のまち。
信徒発見の舞台となった大浦天主堂。コロナで閉鎖されちゃってます。
かつて誰かは言った「神はなくとも信仰は美しい」と。
長崎県美術館、ここにきた最大の目的は『私の話を聞いてくれ』をはじめとする鴨井玲の作品をこの目でみること。陰鬱の海に溺れること。
が、しかし展示されてませんでした。どうやら常設してるわけではないらしい。痛恨。ピカソやダリだけでは満足できなかった。闇を欲していたのだが。
眼鏡橋。
二十六聖人記念碑。
モナコのヘアピンっぽい。
平和公園。
カトリック長崎大司教館が悪の司令部みたいで格好イイ!
原子爆弾落下中心部。
今日の日常が戦後の文脈において成り立っていることに、思い至らせる必要があります。また、その学びを得るには戦争の惨禍を被った沖縄・広島・長崎を訪れる必要があると常々思ってきました。沖縄に続いて二か所目。原爆資料館は残念ながらお休みでした。
高速バスで博多へ。車窓から大村湾がみえた。長崎は個性的な地理で周り甲斐がありそう。
ストイックなスケジュールを消化し、なんとか博多駅までやってきました。佇まいは札幌駅に似ている。
やわめのうどん。
櫛田神社詣で。
▷4日目
予定では最終日。午前は福岡市民憩いの大堀公園と福岡城址を散策。
天神まで戻ってきて、さー帰るかってところで飛行機欠航の一報が入りました。北海道の大雪、まるで知らなかったです。見通し立たず、途方に暮れる。
▷5日目
とりあえず職場には事情を説明し、休みを延長。情報収集、飛ぶかも分からない代替便の手続きなどで右往左往。こういう時「だめなときはだめなのさ」と気分を切り替えられないのが悲しい己の性。そうは言っても時間はたくさんあるので徒労感を抱えたまま観光続行。
住吉大社。
福岡は鯖がおいしい。
東長寺。
聖福寺。
▷6日目
どっちが強いか、住吉大社の力士と戦わせてみたい。
この後、時間はかかりましたが羽田経由で帰れました。新千歳空港は難民化した人でごった返してたので、まだ恵まれた方だと思います。とんだトラブルがありましたが、楽しい旅行になりました。
サンキュー、九州。
暑寒別岳 雨竜ルート撤退記 -藪漕ぎの末の道迷いと熊との遭遇-
2021年7月10日(土)の山行記録。
北海道・増毛山地の主峰・暑寒別岳(標高1,492m)。
この山を、「北海道の尾瀬」と呼ばれる雨竜沼湿原を楽しめる雨竜ルートで歩いてみようと思い立ち、雨竜町へ向かいました。
退勤後、仮眠を取り深夜のウキウキドライブへ。日が昇りはじめた田園広がる空知平野のなかを走っていると、百姓の血が滾りだし一層活気づいてきました。
5時過ぎに登山口に当たる南暑寒荘に到着。山開きの日に関わらず人出はまだ少なめ。
天気予報は曇り時々晴れ。一抹の不安を感じつつ、準備を済ませ出発。
すたころさっさ。
湿原までは約4km、結構険しい道のり。
途中、赤い吊り橋や白竜の滝があっていい感じ。
1時間ほどで湿原入口に。
雨竜沼湿原は南暑寒岳の850m台地に広がる、北海道で一番大きな山岳高層湿原。
湿原にはペンケペタン川が蛇行しながら流れ、大小多数の池塘が点在。そして湿原植物と昆虫類が特有の生態系を生み出しています。
この美しさと広さと静かさには度肝を抜かれました。
湿原にそよぐ風の心地よさには生を実感です。
湿原を30分位で抜け、湿原を一望できる展望台へ。
このあたりからガスがかかりはじめ、この上から展望は期待できない状況。
まずは南暑寒岳を目指し歩を進めると、ある異様な光景に肝が冷えてきました。
誇張なく20m間隔にある熊糞と掘り返しの形跡。
熊のライブ会場かってくらい凄まじい量。
バックパックには二つの熊鈴、口にはホイッスルを咥え、遭遇しないよう音を響かせながらの進行。
歩きはじめて2時間半ほどで南暑寒岳のピークを踏みます。風が冷たく、展望なんてありゃしません。暑寒別岳への道はここから鞍部まで急降下します。
が、問題はここから。
想像を絶する藪漕ぎの試練。背丈ほどにもなる笹薮が覆い茂る。
リサーチした情報元が古かったのか、こんな状況知らされてなかったです...。自分の怠慢に他ならないですが。
本格的な藪漕ぎは経験がなく、足元が見えず滑って転んで、脛やお尻を強打して体力と精神を相当持ってかれました。
そして致命的なミスを犯します。
チェックポイントの「最低コル」手前で道を見失い、沢に入り込んでしまいました。歩いてきた道を引き返そうにも、藪が深く無事に戻れるか確信が持てず、軽くパニックです。ガスで視界が見通せなかったのも原因の一つだと思います。
ここで冷静さを取り戻すべく、休憩を取り、その後慎重に正規ルート復帰に動き出しました。藪をかき分けて進むと、背が低いところに当たり、何とか復帰が叶いました。
この間、藪で上半身がズタボロになり、スマホの位置情報とドリンクのボトルは失うし、こむら返りはするしで、泣きっ面に蜂が極まりました。
道をロストしたのは30分ほどで時間的余裕はあったが、「帰れ」という神の思し召しだと思うことにして撤退を決意。
意気消沈のなか南暑寒岳に登り返し、そして下山をはじめました。
この辺まで来ると登山客と会うようになり、安堵したのを覚えています。
しかし、標高1,000m付近で初老の男性が立ち止まっており、藪の方向を指差して話しかけてきました。
「熊いるよ。あの黒いの」、指を指した方向を覗くと、確かに薮のなか20~30m先に黒い物体が。熊の判別はつかなかったですが、長居したくなかったので早々にその場を離れることに。
小走りで進んでいると、今度は男性4人組が立ち止まっていました。
どうしたものかと声をかけると、この先に熊がいるとのこと。
いやはや困ったものです。
熊がいなくなるのを待ち、団体の最後尾につかせてもらって歩き出しました。
しかし、この後も2度3度、ルート上に熊がいるのを目撃。2mほどの個体。
その都度、ゆっくり後退してはやり過ごし、警戒しながら進むという生身のサファリパーク状態。
急に灌木が揺れ、うめき声が聞こえてきたときは心底ビビった。
無事湿原に到着。全員で喜びを分かち合いました。
後にも先にも、これほどまで熊の気配に怯えながらの山行はないはず。
暑寒別岳撤退を決意していなかったら、一人下山中で熊に遭遇したかもしれず、屈強な男性グループと行動できたのは本当に幸運でした。感謝です。
湿原一帯は朝と比べようもないくらい人が増え、散策を楽しんでいました。
この景観を体験するだけでも来る価値があります。
道外にはそれほど知られていない名所ですが、北海道観光を考えている方には来訪を強くお勧めします。
下山中、熊出現を聞きつけた道警が出動。手持ちの情報を提供しました。
お勤めご苦労様です。
下山後、雨竜町内の銭湯で汗と汚れを洗い流し、2時間しっかり仮眠を取った後、帰路に着きました。
藪と熊、二度とこのルートから暑寒別岳に行こうとは思いません。
アイヌの歩みをたどる 二風谷編
ようやく北海道も春めいてきたってところで緊急事態宣言だったんで、恨めしい自粛生活を送っていましたが、それが解除となり早速平取町にでかけました。
目的地は二風谷アイヌ文化博物館。アイヌ民族が多く住むといわれる胆振・日高地方のなかでも特にその比率が高いとされるのが、ここ二風谷(にぶたに)。
アイヌを巡る大きな炎上が頻発する昨今、聞いてみると教養を大きく欠いていたり、無自覚に「他者」と選別し傷つけたり、そんな内容が多いと思うんです。そんなことを言う僕もアイヌに関する知識は学校教育や報道で得るのみで、上っ面の理解にとどまります。自分自身が無自覚な加害者にならないとは限らない訳で、北海道に赴任したのをきっかけに理解を深めたいと考えてきました。今日はその一環です。
アイヌ文化に触れられる施設のなかでは去年オープンしたウポポイ(民族共生象徴空間)が有名ですが、ウポポイは幾分アミューズメント要素にパラメータが振られる感がある一方で、この二風谷アイヌ文化博物館のストイックに展示物で語る潔さには感服しました。
アイヌって一括りに言っても何世紀も経て分化してるし、そもそも北海道って樺太・千島含めてちょう広い。そんな訳で土地土地によって人々の営みには相当な違いがあったりします。なんだけど…マクロな視点ではカムチャッカ半島、アリューシャン列島、アラスカなど北方圏の少数民族にはアイヌと類似する生活習慣があったりと、ことの壮大さにふえ~って感じです。
近くの平取温泉でひとっ風呂浴び帰宅。良い温泉があると聞けば入らざるを得ない性分です。